attention! ヒロイン≠アリスですご注意。 ユリウスが気がついたときには、もう、は世界からいなくなっていた。 だけではない、エースや、アリスや、その他大部分の役付きは、ハートの世界からいなくなっていた。 それゆえ、世界は静かだった。あの騒々しさも一緒にもっていってしまったのかもしれないと思う。 1人の部屋は、ただ昔に、そして正常に戻っただけのことなのだ。 何故か同じ屋根の下で暮らすことになったアリス、 役に背いても高らかに明るい笑顔を掲げてユリウスのために血を浴びるといったエース、そして、 何処までもユリウスを憎んでいた、1人の少女。それらが間違えだっただけなのだ。 はいつだってユリウスを殺そうとしていたのだろうと考える。無理もないとわかっていた。 ユリウスはそれだけのことをしてきている。恨みをかうことに最早ためらいなんてもたなかった。 他人なんてどうでもよかったのだ。そんなもの生きていく上で欠かしたところでどうということもない。 それなのに、エースが現れて、アリスが現れて、ユリウスの世界はユリウスだけではなくなった。 それはきっと長く生きてきたなかで忘れてしまっていた感覚だったから、少しそれに慣れることが 出来なかっただけだったのだ。その慣れない感覚でユリウスの何かが麻痺していたのだ。 そうに決まっている。そうでなければどうしてわざわざ自分を憎む少女を拾って育てようという気に なるというのだ。 目をつぶればすぐにを思い出す。泣き顔が浮かぶ。ゆがんだ景色のなかで、彼女は泣いている。 ユリウスはどうすることもできない。手を伸ばすことすらかなわなかった。ユリウスが触れることで さらに彼女を傷つけることは明白だったのだから。 わたしはどうすればいいのかわからない、あなたをにくまなきゃいけないのに。繰り返し繰り返し、 壊れたレコードのようにはそれだけを唱えて、泣いた。ただ、泣いていた。 それは幼いがゆえに許された、鬱蒼とした感情を爆発させる手段だった。ユリウスはもうあんな風には 泣けない。どれだけ泣きたくても泣きたくても。泣いてもかなわないことがこの世界には溢れすぎている ことを十分に思い知らされてしまっている今では、そうやって涙を流すことを馬鹿馬鹿しいと 切り捨てなくてはいけなくなってしまった。だからこそ、そうやって泣くをどうして やればいいのかわからなかった。ただ、彼女の流す涙はうつくしいと感じた。綺麗な、綺麗な涙。 深い海の底よりも暗い色をした瞳からこぼれた涙はの身体が熱をもっていたとしても、 さぞかし冷たかったろう。 がそこまで愛した人の時計がどれであったのか、ユリウスは知らない。あの大勢の時計のなかの 1つだったのだろうとだけはわかる。しかしユリウスにとってはなんの特別もない壊れた時計だったのだから 通り過ぎていく日常のなかに機械的に自動的に繰り広げられる動作の対象としての一部だったのだ。 しかしにとってはそれがとてもとても大きかったのだ。 きっと今でも彼女を支えている存在なのだろう。その時計の持ち主だった人間がどんな人間であったのか、 にとってどういう人間だったのか、その人間とどんな時間を重ねたのか、ユリウスは何1つとして 知らないし知ろうともしない。そいつはの兄だったのかもしれない、恋人だったのかもしれない、 友人だったのかもしれない、片思いの相手だったのかもしれない。少なくともユリウスを 殺す理由としては十分であるくらいに絶対的な存在だっただろう。 拾ってあげなければよかったと考えることが幾度もある。ユリウスが身寄りがないからといって 時計塔に連れてくるという、天変地異の前触れのような気まぐれを起こさなければ、はユリウスを 憎んでいられたのだ。誰のせいでもない大切な人の急すぎる死は誰を責めることもできないくらいに あっけなくそしてありふれていた。行き場のない感情は吐き出さなければその身を狂わせるだけだったのだろう。 そしてがユリウスを憎むようになったのは当然のことだろうと思う。 わたしはユリウスのことがたまらなく好きなんだ、だけど、ユリウスはあの人を殺したんだ。 口に出すことで自分の首をぎりぎりと締めるような言葉を喉の奥から搾り出すようなこと、しなくて いいのにと目を伏せたのを覚えている。そんなにも身を焦がすほど深く強く激しい感情を抱いてくれるのに 値するほどの人間ではないのに。だってこんなにも残酷だ。そばにいれば苦しめるとわかっていて それでもその手でにたまらなく触れたいと自分の感情と利益だけを優先して 考えてしまうような矮小な男なのだから。 かちゃり。他に誰もいない部屋では自分が作業をする音がやけに大きく聞こえるものだ。 向こうの世界に飛ばされて、はユリウスをどう思うようになるのだろうか。憎んでいて欲しいと思った。 離れたことで愛だなんて錯覚を忘れてしまって、苦しまないで、ただすべてから目を背けてでもいい、 ユリウスを憎むになってくれれば。そうすればユリウスも、彼女の傍にいることが かなわないという状況だけを憎らしく思うなんてことがなくなるだろう。 ユリウスが愛しているのは自分を愛してくれただったに決まっている。そうだ、そうなのだ。 誰の愛情も受け付けないとつっぱねていたせいで自分に対して向けられた愛情に敏感になってしまっていた だけなのだ。だから、が憎んでくれていればもうユリウスだってを特別に感じることは なくなるだろう。そうであってくれ、どうか。 (憎んでくれることに対して寂しいなどと思うなんて馬鹿なことを) 自分のいない世界、だけれどの傍にはアリスもエースもいるだろうことは確実だったから、 心配はしていない。する必要は何処にもない。 ユリウスは初めて、自分がこの世界に縛り付けられる人間であってよかったと痛いほどに、感謝をしていた。 クローバーに浸り、ダイアを越えて、スペードにたどり着き、そうしていつかハートの国に戻ってきたら、 ユリウスを憎んでくれたが自分を殺してくれればいいと思う。それが彼女にとって当然である 権利なのだから。 幸せなんて望んでない。この世界にも未練はもう、ない。どうしてそう思うのかユリウスはわかっていない。 殺されてもいいと思えるくらいにまるで依存するように自分を委ねたいと願う想いを向けるということが 一般にどう表現されているかも、すべてを凌駕するほどに彼女の身体を抱きしめたいと願う理由も。 |