自己防衛なことは、重々承知していた。特別になれないと か、好きにはならないとか・・・。そうやって必死に逃げることは簡単だった。姉の せいにして、特別にはなれないと逃げるのは傷つくのが怖かったから。逃げること は、現実を見なくても良いと言ってくれた。逃げることは、あたしを何もかもから 守ってくれた。それが、すごく心地よかった。姉はあたしを甘やかしてくれた。父は あたしを見ようとしなかった。けれど、それは少しだけ辛かっただけでしばらくすれ ば慣れてしまっていた。人間順応能力というのは備わってるもので、いつか慣れるよ うになっている。どんな環境にもだ。


「けど、メルヘンには慣れたくはないわね」


ぼけーっと部屋から外を眺めながら漠然と誰に向けるでもなく呟いた。窓から 見える景色は、本当にメルヘンだ。お城に遊園地、大きな時計塔。最初こそ、嫌気が さすほど嫌いだったが、今は眼に痛いと思うくらいだ。本当は慣れてしまっているの だろう。けど、どこかで、それを認めたくない自分がいるんだと思う。だから、一生 懸命嫌な所を探してしまっている。夢だと思いつつも、最近では夢と思えなくなって いる。慣れたくないと思っているはずなのに、どんどん馴染んでいく。


「本と私の顔に飽きたのか?」
「本には飽きてないわ。」
「私の顔には飽きたとでも言いたげだな?」
「だれもそんなこと言ってないじゃない。被害妄想よ」


そうかもな。そう一言呟いて、ブラッドはまたソファに横になった。今は昼 間。悔しいことにブラッドの顔にも飽きることはない。気がついたら見つめてしまう のだが、今日はブラッドの方を見ないでぼーっとしていた。それがブラッドには気に 食わなかったらしい。そんな些細なことで問い詰められていたら、正直話気がめい る。いつかノイローゼになってしまうんじゃないかと思う。なんで、こんな男と結婚 なんて・・・。抵抗したのは覚えている。けれど、今考えればきっと抵抗なんていう モノにはなってなかったと思う。つまりは、それだけ弱弱しい抵抗だったってこと。 この男には効かないことくらいきっとあの時のあたしでもわかってたってことだ。我 ながら打算的だ。この程度の抵抗なら乗り越えてくるんじゃないかとどこかで期待し てしまっていたのかもしれない。



「今度は何?」
「私と居る時に、私の事以外を考えるのは正直頂けないのだが?」


答える気にもなれなかった。こんなに嫉妬深い人だとは思っていなかったし、 そもそも、考えていた事の8割はブラッドが関係している。本当に嫉妬深い。あれほ ど、面倒事を嫌うくせに、嫉妬という面倒事は引き受けてしまうのだから(感情だか らどうしよもないのかもしれないけど)でも、今日は一段と不機嫌な気がする。いつ もより突っかかることが小さなことのような気がする。昨日何かしてしまったのだろ うか?考えてもきっとあたしにはわからないんだろうけど。


「あぁ、そうだ。」


ブラッドが、上半身を起して、気だるそうにこちらを見る。きっとお咎めだろ うと思って返事はしなかった。こういうときは静かにしていたほうがいい。あまりに 理不尽だと、口を出してしまうからだ。そして、喧嘩になる。


「1週間外出するな」
「…へ?」
「聞こえなかったか?外出するなと言ったんだ」
「それは聞こえたわ。でも、理由を言ってないじゃない。理由も言わずに外出 禁止なんて横暴にも程があるわよ」
「…ほう。では、何もしていないと?」
「そうじゃないわ。きっと何かをしてしまったからこそ、理由を知りたいの よ。じゃなくちゃ謝ることだってできないじゃない」


ブラッドは一瞬考えるようなしぐさをして、スクッと立ち上がり、あたしのほ うへ近づいてくる。これもいつもの事。逃げるだなんて間違えても考えない。そんな ことをしたら、機嫌を余計に損ねてしまう。


「昨日、何所にいた?」
「昨日・・・?お城にいたわ。ビバルディと紅茶を飲む約束をしていたから」


なんだ、そんなことか。ビバルディは女の人なのに、どうしてそんなに怒るの かわからない。それに、ビバルディはあたしの良き相談役でもある。明らかに経験が 多そうな彼女はいろいろなアドバイスをくれるのだ(役に立たないものも多いけど )


「もう一人いただろう?」
「あぁ。エース?でも、あの人は迷子でたまたまテーブルのところに来ただけ じゃない。ってなんでブラッドがそんなことを知っているのよ」
「そんなことはどうでも良い。…わかってくれたかな?お嬢さん。私が不機嫌 な理由を」


『お嬢さん』なんて久しぶりに呼ばれた気がする。もっとも今回は皮肉に皮肉 を重ねてさらに嫌味まで足してある呼び方だけど。


「えぇ。わかったわ。ごめんさない。でもね、ブラッド」
「あの男をかばう気か?」
「違うわよ。」


エースはまぁ、この際元凶でもあるから、多少痛い目にでもあってもらうこと にして、今はブラッドの機嫌を直すことに専念する。必死で、ブラッドの機嫌が直り そうな、この場を収められる言葉を探す。


「あたしには、ブラッドしかあり得ないの」
「…それはわざとか??」
「さぁ?どう思う?」
「上等だな。お嬢さん。」


売り言葉に買い言葉だ。最初のあたしの甘い一言(自分で鳥肌が立ちそうに なったけど)より、買い言葉のほうがお気に召したようだ。ブラッドという男はこれ だからよくわからない。人との価値観が違い過ぎるというべきなんだろうか?とりあ えず、ズレている。何か企むような笑顔に、あたしはすこし腰を浮かせることしかで きなかった。
わざと落としたガラスの靴
(追いかけてくるのは王子様じゃなく、イカレ帽子屋。追い かけられるのはシンデレラじゃなくて、自覚のある悪女)