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注意。ヒロインはアリスではありません。ハートの城在住のメイドです。
    アリスはハートの城に居候しています。

 

 

 

 

 

久しぶりに休暇が取れたものだから、久しぶりに街へ出て、め一杯買い物をして幸せな気分で職場であるハートの城へと帰っていった。服を買ったところで着ていく場所も時間もないから結局衣服は一切買わなかったのだけれど、代わりに美味しそうなりんごを沢山買った。しっかりと熟して艶やかに紅く光り甘い春の香りを放つ、袋一杯に詰まったとてもとても美味しそうなりんごを見下ろすたび頬が緩む。早く部屋にいって同僚達と食べよう、余所者の可愛らしいお嬢さんであるアリスも呼ぼう、アップルパイやコンポート、ジャムもいいかもしれない―――、と、色々な考えてる最中、不意に視線を感じて立ち止まる。薄ら寒いものを感じたのは、多分…予感だ。ぎこちなく視線の方へと首をズラしていけば、見慣れてるはずなのに全く見慣れない光景が目に入った。城内だというのに赤々と燃える焚き火、城内だと言うのに当たり前のように設置してあるテント、城内だと言うのにキャンプを楽しんでる様子の紅い紅い服を着た―――

 

「や、…だっけ?」
「…………ご機嫌麗しいようで何よりです、エース様…」

 

強張った笑顔しか浮かべられない私とは対照的に、爽やかな笑顔でこちらを見ている―――ハートの騎士、エース様。爽やかではあるのだけれど、ペーター=ホワイト並(もしくはそれ以上)に喰えない輩だと聞いていた私は、蛇に睨まれた蛙のごとく身動きが取れなくなった。あと二秒、エース様が何も言わなければスカートの裾をちょいと掴んで挨拶して立ち去るところだったのに、次の行動を見越したのかエース様は爽やかなお声のまま、手をひらひらさせて、言った。

 

「外は寒かっただろう?少し焚き火に当たっていくといいよ」

 

…結構です、と断る度量はいちメイドにあるわけもなく。先ほどまで脳内を駆け巡っていた甘い甘いひと時はどこぞへと駆け抜けてしまい、恐怖と緊張による妙な汗が背筋を伝う。目の前の光景が、悪夢に思えた。―――いや、完全に、悪夢か。

 

 

 

 

 

りんごの  は、危険のしるし

 

 

 

 

 

エース様が自分で用意したらしい簡易椅子の隅に座るものの、リラックスできるわけもなく全身強張ったままため息もつけずにいる。目の前の青年は裏が無さそうな爽やかな笑顔でただのメイドの私を見つめてる。何かひとつ身動きをしてしまえばご乱心でバッサリと殺られてしまいそうだ。何かの罰ゲームか?

 

「美味しそうなもの、持ってるね」

 

とりあえず第一声はこちらの危機を暗示するようなものではなかったので、小さく(本当に小さく)息を吐き出す。膝の上に置いたりんごの紙袋は、全て入りきらずに艶やかな赤い表面を袋口から覗かせていた。…もしかしてキャンプ中に食料が切れたとか、そういうオチだったんだろうか。しかしいくら城内キャンプとはいえ、熟練者(!)であるエース様がそんなヘマをするものだろうか。

 

「………。もしよろしければ、おひとついかがでしょうか…」
「え、いいの?」
「勿論です。たくさんありますので」
「じゃあこれどうぞ」

 

渡して帰ろうと思っていたのにまたしても先を見越したのか、エース様が渡してきたのはよく切れそうな小振りのナイフ。つまりりんごをまるごと渡して置いていく事は許さず、切ってゆけと?そっとエース様の表情を覗き様子を窺ってみるが、その笑顔から真相は何一つ読み取れない。危機を脱せたわけでは、ないらしい。ああ丁度よくアリスが通りかかってくれないだろうか、と奇跡に縋ってみるものの、唯一ハートの騎士を翻弄できる余所者アリス が通りかかってくれる気配は無い。諦めてナイフを受け取り、よく磨いたりんごの紅い表面に刃をたてる。しゃり、と瑞々しい音と同時に華やかな甘い香りが広がる。垂れた果汁が刃先を伝って指先を濡らす。まずは半分。もう半分。更に半分。食べやすい大きさになったところで、皮を剥く。いつのまにか目の前に皿が置かれていたので、そこへ切った分を放り込んでいく。放り込んだ分だけ食べてゆくのは、大の男である食欲旺盛なエース様だったりして。…なんて剥き甲斐のある人なんだろう、入れた分だけなくなってゆく。妙な対抗心が生まれてしまいそうだ

 

「…ん、甘い。よく熟してる」
「蜜も結構入ってますね」

 

言ってる間にもナイフを走らせる事を忘れない。殆ど無意識下のうちに動く手は飾り包丁までいれていた。木の葉りんごに双葉りんご。そこまではまだ許容範囲内だった。しかし―――やってしまった。ふと皿の上を見れば、たった一つだけぽつりと居残っている…うさぎりんご、が。エース様は皿を見下ろした体勢のまま可愛らしいうさぎりんごを凝視している。私もうさぎりんごから目を離せない。

 

「…………………」
「…………………」
「……、」

 

にっこりと。全てが凍るような甘い声色で。全員が陸上走りで逃げ出したくなる爽やかな笑顔で。白馬に乗った王子様も愛されるべき余所者も世界を救う救世主も、助けに来てはくれそうにない。皿の上の乗った可愛らしい…今は忌々しいばかりのりんごうさぎを凝視したまま、すうと手を伸ばして、頭から丸ごと口の中へ放り込む。考えてみれば自分で買ってきたりんごなのに剥くので精一杯、食べるのは今が最初だなと考えながらしゃきしゃき噛み砕き、存分に蜜の甘味を堪能し、飲み込む。予想外の出来事だったらしく、エース様は目を瞬かせて皿ではなく私の方を凝視していた。内心叫びだしたい程混乱していたけれど、外側だけは知らぬふりをして平然と次のりんごに手をかけた。

 

「……、……………さて、次を剥きましょう。普通に」
「…………無かった事にするんだ、へえ」
「忘れてください…!ヤツはもういないんです…!」
「食べたかったのに」
「は?」
「食べたかったのに、ね。ヤツを」

 

悪戯っぽく私の台詞を真似るエース様の目は、確実に何かを企んでいる光をちらつかせていた。例えるならば獲物を甚振る前の獣の目。ゆっくり目の前の席から立ち上がり、私の隣へ移動してナイフを取り上げた。そんなにうさぎりんごが食べたかったのなら次のりんごでしてあげるのに、何故ナイフを取り上げる?そして何故わざわざ隣へやってくる?疑問には答えず、エース様はただ己の思うがままの行動を続ける。緩慢なのは動作だけで、鋭い目は獲物を見据えたまま逃す隙を与えない。

 

「…だ、斬首ですか……!?」
「其れは女王様の特権だろ?」
「ならば切捨て御免ですか…」

 

エース様の腰に常につるされている大振りの剣をちらと見て、この剣に命を奪われるのだなと寒々しい思いに駆られた。代えがきく命とはいえ、余所者のアリスのお陰で随分と命に対する考え方を改造されてしまった、と思う。自分でも戸惑うほどひっくり返された価値観は、けれど不快ではなく心地よい改変だった。そんな矢先に自分で墓穴を掘って処刑されちゃ世話が無い…。エース様は私の手首を掴み顔の前まで持ち上げて、果汁でベタベタになってしまった掌に唇を押し付けて、

 

「………、ッ!?」

 

べろり、と。生暖かい生き物の熱を持った少しざらついた何か―――何かって、アレに決まってる!―――が決して綺麗とは言えない手の皮膚を味わうように這い、柔らかく歯の先があてて甘噛みする。本当に喰われてしまうかも、と妙な戦慄が肌を粟立たせる。やめてほしい。切なる思いは、多分口にも出てしまっていたのだろう。エース様が手を掴んだまま目だけを上向けて、相変わらずの爽やかな笑顔で言う。

 

「心底嫌そうな顔してる。傷つくな」
「…(危険な男に危険な事されて嫌がらない方がおかしい…!)」
「嫌がってくれた方がいいか。処罰だし」

 

どうして爽やかな笑顔に見えるのに言ってる事とやってる事は全く爽やかでないのだろう。処罰がセクハラって一体どうなんだ、ねえ誰か答えてよ。青ざめた様子を見ても目の前の青年が退く気配は一切なく、私の一部であるはずの手は持ち主である私の人権よりも大層愛しげに喰されている。マニキュアを一切しない色気の無い指先を咥えて噛まれる。咥内で舐られる。喰われる。喰われる。パニック寸前の視界の端にひっかかった、紙袋から零れ落ちた紅い紅い果実。美味しそうだと思ったあの色と艶は今では毒々しいとしか表現できない。

 

( …りんごなんか買わなきゃよかった )

 

映した眼下には同じ紅。毒々しい程鮮やかな、危険の いろ。

 

 

 

 

 

 

 

(2007.4.4.)

private garden under ground 参加作品  題 『 りんご の 赤は、危険のしる し 』