生憎と今回の昼は長い。
エリオットが言うに、今は真昼らしか_った。
次に来るのは夜だろうか夕方だろうか。それともまた昼だろうか。
初めの内はいつも胸によぎっていた、不安にも似たそんな気分の悪さはいつの間にか慣れと共に消えた。
昼の前は夕方だったはずで、よくよく考えるとしばらく夜が来ていない。
この長い長い昼と相まって、の目の前に座る恋人は機嫌が悪い。
だから、と言うわけではないのだが。
室内なら外ほど不快にはならないだろうと、『時間があいた、暇だ、相手をしてくれ』と言う恋人を部屋に招いてみたのだ。
それだけの理由で、決して彼の言う「えさ」は、与えるつもりはなかった。
けれど、目ざとい恋人は部屋に入って少しもしないうちにそれを見つけてしまったのである。
それからとブラッドの戦いは始まった。
 
 
 
 
 
 
い甘いお菓子をあげよう
 
(代わりにきみの心臓をちょうだい)

 
 
 
 
 
 
「……聞いている?ブラッド。」
「あぁ、聞いているとも。」
 
ゆっくりと頷くブラッドの目の前で眉根を顰める。そんな彼女を見るのはとても愉快だと彼は言う。
何かを問えばが思わず赤面するような事を言ってのけるかもしれないし、はぐらかされるかもしれない。
だがおそらく、先ほどの問いに対する彼の答えは嘘である。
全くもって、聞いていない。
 
「聞いてないったら。」
「ん?聞いているよ。何を怒っているんだ、お嬢さん。」
 
彼は、全く話を聞いていない。
うっとりとした表情をするブラッド。傍目からみれば『帽子屋』が恋に狂ったように見える。
だるそうな声も、この顔を見ながらではただうっとりとしているかのように聞こえる。
余所者と称されるこの世界を惹き付けて止まない女性を見つめているかのように。
 
「…いいわ。好きなだけ堪能して頂戴。…そのお茶。」
「ふ…聞き分けの良い子は好きだよ。。」
「…………どうも。」
 
何を隠そうブラッドは今、がハートの城から少し頂いてきた紅茶に夢中だからだ。
滞在先は帽子屋だが、ハートの女王とお茶を飲んでいるときに絶賛した際、お前が喜ぶのならと少し分けてもらったのだ。
ただし…
  
「『あの帽子屋風情には与えてくれるなよ、これはお前へのわらわの気持ちだからね。』…って言われていたの。」
「…お嬢さん。この素晴らしいお茶の席で、そんなぞっとしない言葉遣いと声色を使うものじゃない。」
 
受け答えはしっかりしていても心ここにあらずだった彼が、初めての方を向き直る。
とてもとても気分を害したと表情自体が示しているが、こんな彼を見るのがはとても好きだ。
自分の言葉に乱されてくれる。自分の声に、応えてくれる。
普段自分のスタイルを崩さない人だから、なおの事。
 
「ビバルディがくれたのよ。そのお茶とこのお菓子。」
「この紅茶は非のつけようが無い。私は出所が何だろうと今これを飲めるというだけで満足だ。」
 
紅茶に惚れ込んだ台詞。
どうやら、彼の手腕をもってしても手に入れるのは難しいものらしい。
彼はつらつらと紅茶に関する薀蓄をたれ始めている。
生産地がどうの、どの部分を摘み取り、どのようなブレンドがされているだの。
乾燥の仕方がどうの、蒸らし時間やお湯の温度、そして飲むタイミングが何だかんだと。
からすれば右から左へ行くような話も彼にとっては熱弁をふるうに値するものだ。
だから、そのままあの舞踏会の時のように話が延々と続くのだろうと思っていた。
そう思ったからこそ、はブラッドの話を半分聞き流しながら女王が職人に特別に作らせた、
城の重鎮達の言うところの『脂肪の元』を手に取ってじっと見つめていたのである。
しかし、そんなの予想に反してブラッドはふぅ、と細く息をつく。
感嘆のそれでなく、また恍惚のそれでもない。
呆れた時に口をつくものだ。
 
「だが、その菓子は少し紅茶の席には相応しくない。」
「どうして?だってあのお姉さまが選んだものなのに。」
 
ビバルディの事をお姉さま、といったのはなりの嫌味だ。
恋人より紅茶と愛を深めるマフィアのボスへの唯一、効果絶大な嫌味。
案の定ブラッドは、舌打ちをして目を細めてを見た。
凄まれるのはもう慣れた。この世界に来た頃には散々に向けられた視線だ。
初めの頃は肩が跳ねておびえた物だが、今はこれが彼と付き合う醍醐味にすらなり掛けている。
…歪んでいるなぁ。我ながらそう思う、と。は少し泣きたくなった。
 
「随分と突っかかるじゃないか、。マフィアのボスの恋人でありながら堂々と敵地へ赴けるその度胸には私も負ける。」
「…本当に…最初の内からそうよね、そんなに私が出かけるのが気に食わないの?」
 
美しく繊細な模様が縁を彩る白磁の皿に、手に持っていた菓子を戻す。
本当はお行儀が悪いが、どうしても食べる気にはならない。
まずいわけではなく、むしろ、美味すぎるほど。
焼き菓子なのにとろけるような甘さと口当たり。
まさに女王さえも惚れ込める絶品の菓子だ。
だが、脂肪の元という言葉がぐるぐると回っていて、口に運ぶ気にはならない。
城ではエースとペーターの言葉にカチンと来ていた事もあって、半ば意地になっていたから味わえた物もこうして我に返ってみると手を伸ばしにくい。
しかし、そうして菓子へと向いていたの意識も、ブラッドの発した冷たい気配に攫われる。
射抜くような、目。
責めるような、突き放すような。しかしそれが出来ない自分に歯噛みする、怒りの表情。
には見覚えのありすぎるそれは、決まって彼の不機嫌度が振り切っている時に見られる。
 
「私の恋人はどんな輩にも定評があって大変結構、とでも言うと…思うのか?」
「…言い訳をするつもりは無いの。確かに最近、ふらふらしすぎたと思ってる。
でも、ビバルディの誘いも無碍に出来ないの。それに…貴方はいつも相手をしてくれるほど暇ではないし、エリオットだって貴方以上に忙しくしてる。双子も私が行けば珍しく仕事をしていてもサボってしまうのは目に見えているし…。」
 
だからといって休みの日まで、屋敷に篭もるのをよしとするのも嫌なのだ。
外を一人でぶらぶらするにはは非力で、ならば他の勢力でも殺されることはないとわかった今、友達もいるのだからそこへ行くのは当然至極ではないのか?
と、は思うのだが。いかんせん、目の前の彼は違う。
何が何でも、はこのブラッド=デュプレが独占したいと思うのだ。
ブラッドは今度こそ大きく、誰が聞いても気だるそうな溜め息をついた。
が、眉間にしわを寄せる。
 
「…言ったはずだが、な。」
「……………。」
 
以前、遊園地のオーナー・ゴーランドをお茶会に招いた時に言ったはずだ。
が絶句するほどの言葉をの舌をざらりと舐めながら、ブラッドは浮気防止になるのならそれくらい容易いのだと言っての望み通りの言葉をなぞった。
『好きで堪らないから、浮気しないでくれ。』
唇を互いに触れ合わせながら注ぎ込まれた言葉と、急にその時の事が思い出されて頬が火を噴いたように熱い。
は手の甲をひたひたと熱くなった頬に当てて冷ますようにしたが、それを黙って見ているブラッドではなかった。
皿の上に重なる菓子をひとつ手に取り、加えてなおの方へじりじりと近寄ってくる。
嫌な予感は、感じていた。背中など、冷や汗でびっしょりである。
だが、すでに肩を捕まれて逃げる事は叶わず。そのまま、彼の咥える菓子がねじ込まれた。
 
「…あの時はそれで君の悪いクセが直るならと甘んじて受け入れたと言うのに…。」
 
吐き出そうとしても、くつくつと笑う彼がそれを口唇で阻む。
おとなしく、ゆっくりではあるが咀嚼を始めたを満足そうに見下ろしてブラッドは彼女の動く頬をなぞった。
 
「どうやら、君は私が思っていた以上に嘘吐きなようだ。」
 
彼の言葉に心外だと目を見開いたを見、ブラッドは愉快そうに笑んで口元に手を添える。
 
「あぁ、それとも私が本気でないと思った、とか…か?」
 
菓子を無事に飲み下したの顎を捕らえ、ブラッドはぎゅ、と目を瞑ったの耳元へと、気だるげな息を吹き込んだ。
 
「……君の魅力的な音は何度も聞かせてもらったが…」
「ちょ…と、ブラッド…!」
 
全身が心臓になったよう。
拍動が耳元で、否、耳の中で鳴っている様に感じるほど煩いのはブラッドもわかっている。
からは見えないが、彼女が感じるブラッドの気配が先程より凪いでいるし…何より、彼は今服の上から心臓に触れているので、わからないはずは無かった。
こめかみや頬、首筋にまでも当たる髪が彼の喉の奥で震えるような笑い方と同じに動く。
 
「あまり信じて貰えないと…抉ってしまいたくなる。」
「…ッ…ブラッド!!」
 
叫びを聞き入れたのか。(恐らくそうではないだろう)
何にせよ、ゆっくりとではあるが離れていく顔には少し安堵しながらも、いまだ心臓の上から離れない彼の手を見つめる。
振り払うための腕はすでに彼のもう片方の手によって封じられていて、それは出来ない。
 
「君が女王の『菓子』に釣られて城へ行ったというのなら、」
「…………。」
 
別に菓子に釣られて行ったわけではないが、彼からするとそう見えたのだろう。
はぐいぐいと縫い付けられた両手を動かそうと試みるが、目の前の男はにやりと笑ったままびくともしない。
 
「…君が望む菓子、とやらを好きなだけ用意しよう。」
 
だから…と繋げられ、続くはずの後のセリフに不安を隠しきれない。それどころかの鼓動と一緒にかすかに震えるブラッドの手がより強く押し付けられて、再び近寄ってくる彼には危機感を覚えて。
 
「ブラッド…っ…!お、落ち着きましょう?ね?!」
 
そう言ってなだめられる相手なら苦労はしないと、の心の内を映すように背中を伝う冷や汗は先程から止まらない。
目の前でくつりと笑み、次に彼女の耳を食む彼はきっともう止まらない。
 
「私は代わりに君の心臓を頂くことにしよう。」
 
君の内でしか動かないそれ。
せめてその薄い皮膚を隔てて、私のものだという証を刻み付けたい。
 
 
 
 
 
 

 
END
 
 
 
 
 
 
Thank you for reading my composition.
Please come and see us again!
You contributed to 『private garden under ground』.
 
 
 
 
Material*ミントBlue 様